gray sky
彼女は、無機質な建物しか見えない窓に目をやり、ふと呟いた。
「──それでも、この街は優しいんだよ。私が居ても居なくても変わらないから……」
そんな灰色の世界の中に、私達はひっそりと生きていた。
私達は、同じ学校の同じ学年の違うクラスの生徒だった。
知り合ったきっかけは、私と彼女が昼休みを同じ方法で潰していた事。私達は二人共、昼食を摂るとすぐに図書室へ行っていたのだ。お互いいつも同じ人が居るな、とは思っていたものの、特に声を掛ける訳でもなく一学期を過ごしていたのだが、ある日ふとした事から話すようになった。
何が会話のきっかけになったのかはもう忘れてしまった。きっと彼女もそうだろう。私達はすぐに十年来の友人同士であるかの如くお互いを理解し合うようになったのだから。そんな事は些細な事でしかなかったのだ。
「……ユキ、さっきから同じページを開いたままだよ」
昼休み、いつもと同じ様に私達は図書室で本を読んでいた。本を開いたままぼーっとしていた私に、向かいに座るアカリが呆れた様な笑みを浮かべている。
「あー……どっかに飛んでた……」
私が答えると、アカリは納得した風に頷いた。
「あぁ……、こんな天気だからね」
「うん、こんな天気だから」
二人で窓の外をみやる。
切り取られた空はやたらと青くて、私達に不安を与えてくる。ここはお前達の居場所ではない、と告げられた気がして居心地が悪くなる。
「……やっぱり私達は少数派の人間なんだねー……」
私の言葉に向かいに座る彼女は静かに笑う。
「今更だよ。まさか知らなかった訳じゃないよね?」
私は微笑みを返答にした。
私とアカリは、この世界に距離感を感じていた。
どうもうまく馴染めないし、そうしようとも思えない。ただただ居心地の悪さだけを感じるだけなのだ。
いつからそう感じる様になったのかは解らない。もしかしたら始めからなのかもしれない。
けれど、これだけは理解していた。
──この私達の感覚は他人とは共有できないものである、と言う事を。
だから本を読む事で人との間に距離をつくった。
本と言う一つの世界を間におく事で、他人にも分かりやすいようにその距離感を示すようにしたのだ。
世界の中に在る事に違和感を持たない人達の間に居るのは苦手で、世界に紗を掛けてくれるような雨の日が好きな、私達。
──私とアカリの間だけは、世界の距離が近かった。
「──アカリ、私達にぴったりの場所を見つけたんだけど」
ある雨の日の放課後、私は下駄箱の近くで待っていた彼女に、そう声を掛けた。
「昼休みに言わなかったのは、これから行くつもりだったから?」
全てを理解した様な笑みが返ってきた。
やっぱり雨の日は良い。いつもより行動的になれる。私はアカリを引っ張るようにして、その場所へと案内した。
現代的な小綺麗さから取り残された様な、一昔前のデザインの古ぼけた六階建てのビル。その最上階の一画に、私達の居場所が出来た。
ここの窓からは、無機質な建物しか見えない。そのまるで人間の居る世界から隔絶されているかの様な眺めを、私達は気に入っていた。少々薄暗い照明も、天井まである本棚に所狭しと並べられた様々な種類の本も、又然り、である。
この場を提供してくれた知人は、書庫として利用しているだけだから好きな時に入って良い、と言ってくれたので、私達は毎日の様に入り浸っていた。
「──改めて思うけど、ここの本の趣味って私達と同じだよね」
次に読む本を選びながらアカリが言った。
「だね。……まぁだからこそ、ここの持ち主と私は知り合ったんだけど」
「成る程ね……。解りやすい理由だ」
私達は顔を見合わせて、お互いにふっと笑った。
「あ、ユキの探してた『絡繰仕掛』の本」
「あったの!? 持ってきて!」
「何冊かあるけど?」
「全部お願いー」
「分かったよ」
アカリは四冊の本を手に私の元へ来た。その内の三冊を私にくれ、残りの一冊を、私の隣に座って開く。それは、灰色の表紙の本だった。
無言の、けれど穏やかな時間が過ぎていく。
ページをめくる音と、遠くに聞こえる外界の音だけが、響く。
私達はこの時間が一番好きだった。私達を排斥するものの無い、この時間が。
──それを壊すのは、私の携帯電話のアラーム音。
「……そろそろ帰る時間か……」
私達はため息をつく。平穏な時間は終わりを告げたのだ。
重い腰を上げ、いつもと同じ様にこの場を名残惜しみながら、私達は帰路につく。
──それが、私達の日常となっていた。
ある、冷たく澄んだ空が晴れ渡っていてとても痛い日。アカリは学校に来なかった。風邪でも引いたのだろうか。
私は久しぶりに一人で過ごす昼休みに不安を感じた。この不安が何から来るものなのか、その時の私には分からなかった。
放課後、少しためらった後、いつもの様にいつもの場所へ行った。
アカリの居ない、いつもの場所へ。
いつもなら穏やかな時間の流れるこの書庫でさえ、その日の私にはよそよそしく映った。
……アカリが居ないから?
お気に入りの本を読んでも落ち着かない。そんな事は初めてだった。
私は、気を紛らわそうと思って窓の外を見やった。
──その時、携帯電話が鳴った。
その着信音はアカリからの電話。私は慌てて携帯電話を手にとった。
『ユキ、今どこに居る?』「え、いつもの場所だけど……」
『そう……』
アカリの声はいつになく無感情だった。
「……どうしたの?」
そう問いかけても返事はない。
「……アカリ……?」
私は電話の向こうにアカリが居るのか心配になって呼びかける。
そして長い沈黙の後、ようやくアカリの声が聞こえた。
『私はもう、そこには行かないから』
「……え?」
戸惑う私をよそに、無情にも電話は切られてしまった。
その後思いきってかけ直してみたけれど、繋がることはなかった。
次の日もアカリは来なかった。学校にも、いつもの場所にも。
そして、次の日もその次の日も、それからずっと、アカリは来なかった。
直接連絡をとろうとしたけれど捕まらず、アカリのクラスの人にも尋ねてみたけれどわからなかった。
──何故? 何があったの?
私はいつもの様に昼休みには図書室へ、放課後にはあの書庫へ行く。
でもそこに居たはずのアカリは居ない。
私は半身を失った気分だった。
晴れた空はますます嫌いになり、曇り空にさえ憂鬱になった。
世界から締め出されて、まるで落ち着く場所のない幽霊みたいだった。
私一人しか居ないいつもの場所。
何かを考えた訳でもなく、ただ自然とその本を棚から取り出していた。
一時期はまっていた絡繰仕掛の本。
ふと開いたページに、私は目を吸い寄せられた。
次の日、私はいつもの書庫で一日を過ごした。あの絡繰仕掛の本を片手に。
少し穏やかな気分になった。明日になれば、私はもう平気になるだろう。
一度確認をして、私は書庫を後にした。
そして、次の日。
いつもの場所についた私を待っていたのは、アカリの姿だった。
私が私のために仕掛けた絡繰に掛かったアカリの姿。
──何故アカリが?
答えてくれるものは居ない。
私は視線をさまよわせ、その先に見覚えのないものを見つけた。
『ごめん、ユキ。勝手に使って。
今までありがとう。』
それは一枚の紙切れだった。その上にあるのはアカリの癖のある字。
私は床に横たわった彼女に近づき、そっとその首を抱き上げた。
「……アカリの言った通りだね。この街は私達に優しい……」
アカリが来なくなった理由はわからないけれど、今日ここに来た理由はわかった。
────あぁ。
やっぱり、私達は、同じだったんだね。
だから解り合えた。
世界が近かった。
この街は、私達に優しかったんだ。
こういった方法でしか世界との距離を縮められなかった私達を、赦してくれるから。
「アカリ……」
私の呟いた声は、灰色の世界に吸いこまれ、消えていった。