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夢幻綺譚 ・ 3


2   見えるモノと見えないモノ

「おい水城、どこまで行くんだよ? つーか何なんだよ、何しに行くんだよ?」
 早歩きの私に香月も早足でついて来る。さっきから同じ様な事ばかり聞いてくるので、いい加減にうんざりした私は、簡潔に答える。
「北校舎の渡り廊下に行くんだよ」
「! 星輝さんの言ってたとこか」
「そうだよ。まぁ、行ったとしてもその女の子に会えるとは限らないけどね」
 むしろ行っても会えない可能性の方が高い。何しろ、今まであそこでそんなモノを見た事は一度も無いのだから。
「……でも今行く必要は無いだろ? 5限始まるぞ」
 ――――――あるよ、私しか知らない理由が。
 けれどそれをいちいち教えてやる程、私は親切な人では無い。と言うより、これを香月に言って理解されるかどうか、それが解らないから言いたく無いだけだ。まぁ、大抵、他人に完璧に理解されるなんて言う事は無いのだから、今更のような気もするが……。
 とか何とか考えているうちに、問題の場所についた。
「星輝さんは、ここでその女の子を見たんだよな?」
「それは間違いないだろうね」
 香月はとりあえず外を見回す。けれど何も見つけられなかった様だ。
「……そう簡単に見えるわけ無いよな……。水城、ここに来た意味無かったな」
「そう? そんな事は無いよ。……むしろ来て正解だったと思うけどね」
 私がそう言うと、香月は何だか解らないといった様子でこっちを見た。……やっぱり香月には見えていない様だ。
「……おまえ、さっきから何か変だぞ」
 変、ね………。確かに私もそう思う。普段の私はこんなに行動的じゃないし、普段いないはずのあれがいるのもおかしい。何だか今日は少し歯車が狂ってしまっているみたいだ。
 その元凶は、おそらくあれ――つまり"市松人形みたいな女の子"なのだろう……。


 私がその女の子の方をじっと見ていると、横に居た香月が私の肩をたたいて言う。
「もう戻らないか? さっき予鈴鳴ったし、ここに居ても意味無いだろ」
「……香月、あれ見えない?」
女の子の方を指さして、私は言ってみる。けれどやっぱり香月には何の事だか解らなかったようだった。首を傾げるだけで、
「あれって何の事だ?」
としか彼は言わなかった。
 私が女の子を指をさしても、香月は何の反応もしなかったが、その代わり――と言ってはなんなのだが――あの女の子の方が反応した。私に自分の事が見えていると気付いたのだ。
 彼女は宙をすべる様にしてすっと私の方に近づいてきた。そして、目の前に来てこう言った。
「あなたは私の事が見えているのね? 今朝の子もあなたかしら、気配がそっくりだわ」
 ……『今朝の子』とは麻乃の事だろう。けれど気配がそっくりとはどういう事だろうか。この女の子は私が今朝の子なのだと勘違いしているみたいだが……、まぁ、それならそれで都合が良い。
「その通りだよ」
 と、私が香月には聞こえない様に囁くと、女の子は妖しい笑みを浮かべた。
「見えるだけじゃなく、声も聞こえている様ね。……ふふふ、上出来だわ。最高よ……」
 背筋に寒気がはしる。麻乃の言っていた女の子の印象がとても正しかった事を知った。
 『怖いというか、何かがずれているというか……』 まさにそんな感じなのだ。何かがずれた感じがするのは、女の子の存在する世界が私達の存在している世界と違うからなのだろう。
 ……できれば、関わりたくない。関わるのは危険だと、そう思っているし、解ってもいる。
 ――けれどそれでは、だめなのだ。それでは意味が無い。
 ……私は思わず目をつぶる。あんなもの見たくは無いと私の考えに反して体が動く。
「ふふふふふ……」
 その妖しい笑い声が、頭の中に響いてくる。私は反射的に耳をふさいだ。直接頭に響く声にそんな事をしても効果が無い事は分りきっているのに……。
 と、そこで横に居るはずの香月の存在が全く感じられない事に気付いた。
 目を開けてみると、そこには、ただ黒い闇が広がるばかり。
 ――――――私はただ一人、そこに立っていた――――――


「……き……水城っ! おい、どうしたんだよ!? 返事くらいしろよ!」
 香月が私の肩を揺さぶりながらそう言っている。怒っている様な、心配している様な、そんな中途半端な表情をして。
 ……私はそれをぼんやりと認識する。
「……ん……、あぁ、香月か……」
 いつの間にか、真っ黒い闇と癇に障る笑い声は消えていた。ようやく "こちら側" に戻ってこられたらしい。
 まぁ、まだ全部の感覚が戻ってきている訳ではないみたいだが。妙に現実感が薄く、奇妙な感じがする。
「『あぁ』じゃなくて、どうしたんだよ? 急に黙り込んだと思ったらいくら呼んでも返事をしないし、丸でどっかに意識だけ飛んでってたみたいだったぞ、おまえ、一体何だったんだよ、さっきのは?」
 ……鋭い。
 香月の感じた通り、さっきの私は正に『意識だけ飛んでってた』状態だったのだろう。けれど私はそれを香月に言う事はしない。上手く説明が出来ないからだ。
 だから、それについては適当に濁した。
「……ちょっとね……。気分が悪くなったんだよ。だから……ね」
 別に嘘は言っていない。あの時気分が悪くなったのは事実だし、今も少し頭が痛かったりする。
「水城……すごい真っ青な顔してるぞ。ちょっと気分が悪くなったなんてレベルじゃないだろ、おまえ……」
 私はそんなにひどい顔色をしているのか?
 それを確かめる物は周りには無いが、香月のものすごく心配しているその様子からして、本当の事なのだろう。私自身はそんなひどい状態ではない様に感じているのだが……。
 私が何も言わずにいると、香月は返事も出来ないくらいに体調が悪いのかと勘違いしたらしく、
「そんなに気分が悪いんなら、保健室行けよ。ついてってやるから」
と、私を保健室へ連れて行こうとする。
 ……別にそんなに気分は悪くないのだが、たぶん授業に出ても身は入らない。それならゆっくりできる保健室のほうが良いだろうと判断し、おとなしく香月について行く事にした。
 ……けれど、思っているより体の調子は悪い様で、思う様に動かなかった。意識はしっかりしているのに体がふらつく。まだ完全に意識が戻っている訳ではないのだろうか。
 まぁ、おそらくはそうなのだろう。
 そして私は香月を支えにして、なんとか保健室まで行く事が出来た。


「……先生居ないみたいだな」
 保健室には誰も居なかった。
 私はそこのベッドに倒れ込む。寝転がると、何だかすごく楽になった。
「香月、5限ってもう始まってる?」
 私が訊くと、彼はかなり驚いた。
「結構前に本鈴なったんだぞ。おまえ、まさか気が付いてなかったのか?」
「……え……」全く気が付かなかった。「どれくらい前?」
「15分くらい前だったと思うけどな……」
 まさか……、そんなに経っていたのか? 私は15分も突っ立っていたと言うのか?
 ……信じられずに時計へ目をやると、確かにそれくらいの時間だった。
 と、ある事に気が付いた。
「香月……、私の所為で5限さぼり?」
「だな」彼は笑って答えた。「いーよ別に。俺の嫌いな授業だから、ちょっとラッキーって思ってるとこなんだ」
 ……それで良いなら別に構わないけどね。
 香月は教室へ戻る様子も無さそうに、ベッドの端に腰掛けている。
 そして、ふと口を開く。
「なぁ水城、星輝さんの言ってた女の子に、本当に心当たりは無いのか?」
「………………」
 彼が、あまりに真剣に言うので、私は何も言えなかった。
 何となく、言いづらかった。


 ……ただ、沈黙が流れる。
 私が香月の質問に答えずに居たら、彼は返事を待っているのか、何も言わなくなってしまったのだ。
 何だか気まずい雰囲気があたりに漂っている。
「……そんなに迷う事なのか?」
 沈黙を先に破ったのは、やはり香月の方だった。
 彼は黙っているのが苦手なタイプなので、さすがに限界が来たのだろう。私とは逆である。
 全く、ずっと黙っててくれていた方が良かったのだけどね……。
「香月、何で私が知ってるかもしれないと思う訳? 私、『知らない』って言ったと思うんだけど」
「俺もそう思うな。……けど、それが本当の事だとは限らないだろ? それに、おまえの様子はあの話を聞いてからずっと変だ。何か隠してる、そんな態度だよ。誰だって水城が何か知っていると考えるだろうな」
 香月の質問にささやかな否定の答えを返してみたが、この通り。納得できないらしく、そんな風に言い返してきた。
 彼の言う事は正しいだろうな、と私は思う。『何か隠してる』ように見えるだろうし、私の言っている事が『本当の事とは限らない』可能性だってある訳だ。どうせ、人間なんて嘘を吐く生き物なのだから……。
「確かに香月の言ってる事は解るよ。誰だって、私が何か知っていると推測するだろうね。いかにも何か隠してそうな怪しい態度をとっているから……。
 ――けれど、これがすべて私の演技だったらどうする? 他人がそう推測する事を見越して、"いかにも" って態度を演じているのだとしたら? それなら、私は何も知らなくてもおかしくは無いね。
 ……香月はどう思う?」
 私はただ、淡々とそう言った。
 香月は少し頭の中が混乱してしまった様だ。
「……おまえ、この事についてうやむやにしてしまいたいだけじゃないのか……?」
 しばらくしてからそういう答えを出した香月に、私はにっこりと微笑んで見せた。