白と黒のパズル ・ 2
《1 ・ 見つからない境界線》
1
――――――尾けられてるみてーだな、オレ。
キールは人込みの中、自分についてくる気配を感じた。
――――――ふざけんじゃねぇ。ってか、そんなバレバレでいいのかよ?
相手に不安ではなく不満を抱いてしまうあたり、彼が人の道をしっかり踏みはずしてしまっている証拠に他ならない。
背中に感じるその気配は、こんな人込みの中でもしっかりとついてきている。どうやら相手は只の素人というわけではなさそうだ。
キール入り込んだ路地を適当に歩き回ることにする。相手をまくためだ。このあたりは少しでも横道にそれると、人通りがいっぺんに少なくなるから、むこうは慎重になるだろう、という理由もある。
そうして十分ほど歩いた頃、キールを尾けていた気配が一瞬にして消えた。
――――――何なんだ?かなり不自然じゃねーか。
そう、これはおかしい。気配が一瞬にしてなくなるなんて普通はありえない。しかもこの場合は、キールが相手をまくことに成功したわけでもなかった。
なぜなら、気配はさっき確実にこの道へ曲がってきたはずだからだ。いくら尾行がへたな人間でも、ここで見失うわけがない。こんなところまで尾けてこられる人間ならなおさらだ。
ということは、ここで一番に考えられる可能性は、『相手が自ら気配を消した』ではないだろうか。
でも本当にそうなら、今の状況はあまりよくないと考えるべきである。その場合、相手は素人どころではなかった、ということになるからだ。
――――――まずいな、これは。
キールがそう思った瞬間、首筋に冷たいものがあてられた。
さっきの気配を消したヤツが、キールの首にに後ろから手をまわして、その首筋にナイフをあてたのだ。これでキールはへたに動くことができなくなった。彼がちょっとでも動いたら何のためらいもなく頚動脈を切るだろう。
「何がやりたいんだよ。お前」
こんな、いつ殺されてもおかしくない状況だというののに、キールは普通に自分の背後の人物に、そう聞いた。
「何が、とは? 君をどうするかってことかい?」
この状況にまったく動じていないキールに対してこれまた冷静な声が返ってきた。それは低く淡々とした声で、相手がどうやら男だということがわかった。
「そうだよ。俺を殺すんならさっきできただろ?それにわざわざ今まで尾けてたじゃねーか。あんたの目的はいったい何なんだよ?」
「目的か。しいて言うなら、君に会ってみたかった、ってとこだな」
「……はぁ?」
キールは全身から力が抜けていった気がした。
そりゃあそうだろう。そんな目的でナイフをつきつけられているなんて馬鹿馬鹿しすぎる。
「……あんたさぁ。これで目的は達したんじゃねーの?いーかげんこれのけてほしいんだけど。首が冷たいんだよ」
こいつ頭おかしいんじゃねーか?と内心思いつつ、キールはとりあえずそう言ってみる。
が、男はまったく手を動かそうとはせず、こんなことを言った。
「まだ目的は達せられてないんでね。さっき言ったのには、『しいて言うなら』とつけてあったはずだよ。目的は君に会うことだけじゃないんだ。ま、殺そうってほど物騒なことではないから安心してくれ」
――――――ほんとに何なんだ、コイツ?
男はさっきから何だかよくわからないことばかり言っている。淡々とした口調なので、感情が読めないからなおさらその心理を読むことができない。
これ以上目的を聞くことは無駄だと悟ったのか、キールは質問をかえた。
「あんたは何者なんだ?こういうことに慣れてるみたいじゃねーか」
「それは愚問だと思うんだがね。そんなことを聞いてどうするんだい?君には関係ないことだよ」
――――――んなことねーだろ。どう考えても関係大アリじゃねーか。
どうやら、この男に何かを聞くのは無駄なことらしい。
……それよりも、とキールは思う。さすがにこの体勢がいやになってきたのだ。
なんせ、さっきからずっと動けないまま、首にナイフをあてられたまま立ってる。――――といっても、実際はまだ何分もたっていないはずではあるのだが。
「あのなぁ、いいかげんにしろよ。オレはそんなにヒマじゃねーんだよ」
キールが男に対してとても不満そうにそう言った。
すると男はなぜか、納得したように、こう答えた。
「そうだねぇ。いいかげん、どうかしないとな。君とのおしゃべりにも、そろそろあきてきたからね」
――――――ずいぶんと勝手な男じゃねーか。コイツ。
確かにそうである。キールでなくとも、そう考えるだろう。何しろ、会話が成立しているようで、まったく通じてないのだ。
これでは両方ただ自分の言いたいことを言っているにすぎない。いっそうもう何も話しかけない方がいいんじゃないか、とキールは思った。
その瞬間、キールの体に鈍い衝撃が走った。
意識を失ったその身体は、地面へとくずれおちていく。
さっきまで、キール動けないよう押さえていた男はすでに、手をはなしてしまっている。
ささえるモノを無くして、キールは倒れてしまった。
そんなキールを、何の感情もこもらない目で見下ろす男の手の片方にはさっきまで彼に突き付けていたナイフ、もう片方にはスタンガンが握られていた。
キールを襲った鋭い衝撃の正体は、どうやらこのスタンガンらしい。
「君は目的を知りたがっていたが、それは君にはわからないままだろうな。目が覚めたときには今のことはおろか、ここ2・3日分の記憶くらいは飛んでしまっているだろうからね……」
男はわからないようなわかるような、何やら意味ありげな言葉を足元に転がるキールに向かって投げかける。
その言葉が相手に届いていないことは百も承知だから、これは独り言に近い。
と、向こうの道から人のやってくる気配を感じた男は、
「もう会いたくないな。できれば……」
そう、ごく小さな声で低く呟き、そして、
……通り過ぎる風のように、いつのまにかそこからいなくなっていた……――――――
2
目が覚めた。
すごく眩しかったので、キールは思わず、また目を瞑ってしまった。どうやら、今は昼過ぎらしい。
――――――何だ?どっか違和感があるぞ。
キールは、まだはっきりしていない意識の中、そう感じた。
そして気付く。
目に映る天井がいつも見慣れたそれとは違うことに。
「あっ! 起きた?」
高く明るいその声と共に、キールの視界に見知らぬ少年の顔がドアップに映った。
まだまだ幼い、あどけない顔だった。年はおそらく8、9歳ぐらいだろう。茶色の髪が光を受けて金色っぽく見える。
「……? 誰だよ、お前」
今度こそしっかりと目が覚めた。キールは体を起こす。
そしてなぜだかわからないが知らない家のベッドに寝ていることを理解した。
「……どこなんだよ、ここは……?」
わけがわからなくなったキールは誰にともなく呟く。
「ここはぼくんちだよ」キールの独り言に律儀に答え、少年はベッドの端に座る。「お兄さん、道の真ん中に倒れてたんだよ。なかなか目を覚ましてくれなかったから、ここに運んできたんだ」
「それ本当か? 何で俺がそんなトコで倒れてんだよ。全く覚えねーぞ」
よけいにわけがわからなくなってしまったキールは少年を睨みつけてそういった。いわば八つ当たりに近い。
そんなキールに少々ビビリながら少年はおずおずと言葉を返す。
「……そんなこと、ぼくがしってるわけないよ。お兄さんほんとーに覚えてないの?」
「あぁ。さっきもそういっただろ」彼は壁にかかった時計に目をやる。「2時すぎ……か。おい、今日は24日だよな?」
キールがそう尋ねると、少年はきょとんとした表情をした。
「お兄さん、今日は28日だよ。24日って……。さすがに間違いすぎだと思うけど」
少年のその言葉に今度はキールが呆気にとられる。
「28日? それはないだろ。3日間も意識がなかったわけじゃあるまいし。俺には24日までの記憶しかねーぞ。お前が間違ってんじゃねーか?」
「ぼくはまちがってないよ。……でも変だね。お兄さん見つけたの昨日の夕方だよ? それまでお兄さんなにしてたのかなぁ……」
不思議なことに、キールにはここ3日分の記憶が無かった。一日分は気を失っていたからないのだろうが、それでも2日分は空白だ。しかも彼はなぜ倒れたのかさえ、覚えていない。
――――――いったい、オレに何があったってんだよ?
キールが黙り込んで考えていると、横でそれをつまらなそうに見ていた少年が不意に立ち上がり、
「あ、そうだ! ソウマたちに知らせてこなきゃ!!」
そういうや否や、慌てて部屋から走って出て行ってしまった。
いきなり何なんだよ、とキールが思っているうちに、少年が戻ってきた。その手にはクッキーの入った袋がある。
「お兄さん。お腹すいてるんじゃない?これ食べようよ」
彼は袋を差し出していった。
キールはそういわれて初めて自分の食欲に気づいた。そういえば1日食事を取ってないのだ。けっこうお腹はすいている。
少年の気の利いた行動に彼は少し感謝した。
―――けれどすぐにはその袋に手をださなかった。
「お前、さっきのガキと違うだろ?」
キールはそれだけいった。
すると少年は一瞬きょとんとして、すぐになんだかとても嬉しそうな表情になった。
「お兄さん。するどいね! その通りだよ。さっきのは僕の弟なんだ」
「双子なんだな。……じゃあ。お前の名前はソウマ、か?」
少年の顔に驚きは広がる。それは正解のようだった。
少年―――――ソウマは不思議そうに、けれどもとても面白そうに尋ねる。
「なんでわかったの? ユウマが僕のこと話した?」
「いや、さっきのガキは―――ユウマか?―――何もいってないぞ。」
キールは何でもないことでしかないかのようにいった。けれど、もちろんそれは彼にとって出しかなく、ソウマはなぜキールが自分の名前を当てたのか、まったくわからなかった。事実、ユウマはキールに自分のことすら何も話していなかったし、"ソウマ"という名前だって、一度でただけで、それが誰のことかなんてわかるはずもない。
あてずっぽうなのかもしれないが、ソウマの名前を当てたキールは結構すごいと思われる。
「ソウマー、ジュンリィが呼んでるよ〜〜」
ソウマと同じ顔の少年が入ってきた。
今度こそ、初めにいた少年――――ユウマだった。
「わかったよ。―――お兄さん、ゆっくりしていってね」
ちょっと名残惜しそうなソウマだったが、しかたなさそうに部屋から出て行った。
それを見届けてから、ユウマはキールの隣に腰を下ろす。さっきと同じ位置だ。
「お兄さん、これ食べないの?」
キールの横にあるクッキーの袋を目ざとく見つけてユウマは言った。キールが食べないのなら自分がもらいたいといった様子だ。
「……あ、そうだったな。もらおうとは思ってたんだ……」
彼は袋に手を伸ばし、……途中でやめた。
そんなキールを不思議そうにユウマは見る。
「? お兄さん、食べないの?」
「よく考えりゃ、ここって人んちだよな。しかも全然関係のねーヤツの。フツーにくつろいでんのはおかしいだろ。――つーわけで、オレは帰ることにするからな。ユウマ、玄関はどっちだ?」
そういっていきなり立ち上がったキールにユウマは慌てた。
「お兄さんもう帰っちゃうの? ねぇ、もうちょっとゆっくりしてってよ」
「人の世話になりっぱなしなのは好きじゃねーんだ」キールはそうきっぱりと言って、ふと思い出したように尋ねた。「おい、一応聞いとくが、ここはどこだ?」
「リセル=グローラの西の端っこら辺だよ」
ユウマがそう答えると、キールはなんだかありえないことを聞いたような顔つきになった。
「リセル=グローラ?それは本当か?」
なんでそんなことを聞き返すんだろう、とユウマは不思議に思った。
キールはすぐそこの通りに倒れていたのだ。そこまでは彼自身の意志で来ている筈で、まさかものすごく遠くから誰かに運ばれてくるわけでもないし、そんなに驚かなくても良いと思う。
ユウマが訳が解らない、といった表情をしていると、キールは妙な事を言った。
「……オレにはここに来た覚えがねーぞ。1年くらいは来てないだろーな。オレの記憶だと最後に居たのは北のほうのシルビアなんだがな……」
ユウマは不思議そうな顔をしているが、それよりもキール自身が不思議に思っているに違いない。
と、そこでユウマはある可能性に気が付いた。
「ねぇお兄さん。お兄さんさ、26日と27日の記憶もないって言ってたでしょ?たぶんその『空白の2日間』の間にここに来たんじゃないかな。だからきっと覚えてないんだよ」
「あぁ、なるほど。それが一番ありえる可能性だな」
という事はキールの記憶から2日分が消えてしまったことになる。彼本人は知らないが、くしくもあの男の言ったとおりになったということだ。しかもあったことすらも忘れてしまっているのだから、男の言った言葉が正しかったことが証明された形になる。
……そんな事は誰にもわからないだろうが。
「お兄さん、この辺に住んでる人じゃないんだよね?」
ユウマが不意にそう訊いた。
「ん、ああ」どうしようかと考えていたキールはユウマのほうへ顔を向けて答える。「むしろここからだと結構離れてるところだな」
その答えにユウマは嬉しそうな表情になった。
何でだろう、とキールが思っていると、
「あのさ。こっから駅って遠いんだよ。お兄さん、おなかすいてるし、疲れてるんでしょう?今日はもううちに泊まったらいいんじゃない?ね、そうしよう!」
とユウマが言った。
キールは納得した。
ユウマが嬉しそうな表情になったのはその提案を思いついたからだったに違いない。子供らしい発想である。
「ねぇお兄さん、どうするの?ねぇ!」
キールがどうしようか悩んで返事せずに居ると、ユウマがねぇねぇと催促してくる。
キールはユウマに気づかれないように小さくため息をついて、答えた。
「……わかったよ。言うとおりにしてやるよ」
その答えにユウマは躍り上がって喜んだ。
キールには何故そこまで喜ぶのか、よくわからなかったけれども。
ユウマはキールの手をひっぱって家の中に入る。
「お兄さん、早く中に入って!うちのみんな紹介してあげるよ!!」
3
ユウマがキールの服の袖を引っ張っていくのでキールはそれについて行くしかなかった。ユウマはさっきまで居た部屋を通り越して、リビングへ行く。
リビングに入ると、キールの袖をぱっと離し、ソウマともう一人の少女の居るほうへかけていった。
「ねぇ、ソウマとナクルねーさん!お兄さんが今日泊まってくんだってー!」
どうやらもう一人の少女はナクルという名前らしい。年は多分キールと同じくらいだろう。長めの金髪をポニーテールにくくっている。
キールがユウマの後についてそちらへ行くと二人は顔を上げてキールのほうを見た。
「はじめまして。私はナクルよ。あなたはなんていうの?」
ナクルが尋ねる。そこで始めてキールは誰にも名乗っていなかったことに気づいた。
「オレはキールだ。あんた、その双子の姉か?」
「違うわ。でもまぁ、そんなものかな。血が繋がってないって言うだけで」
「へぇ……?別に義理の姉弟ってわけでもなさそーだな。……ま、どうでもいいか」
「ねぇ、キールさん。今日うちに泊まるって……ユウマが強引にそうさせちゃったんじゃない? そうだったらごめんなさい」
ユウマを横目で見ながらソウマはすまなさそうにキールに言う。
たしかにソウマの言うとおり、ユウマに強引にここに止まることを薦められたのだが、だからといってはいそうです、なんてそうそういえるものではないだろう。だからキールも適当にごまかした。
「別にあやまるようなもんじゃねーよ」
「そうだよ、ソウマ。何かぼくが悪いみたいじゃないか」
キールの横からユウマがそういうが、誰もそれに相槌を打たなかった。
「……ま、いいや。他の人はどこにいるの? キールさんにみんな紹介したいんだけど」
「ジェンリィはさっきまでここに居たけど……」ナクルが周りを見回して言う。「買い物でも行っちゃったんじゃない? リラちゃんはキリーさんのところで遊んでると思うわよ。ルートさんは……どこかしら?」
ナクルはソウマに訊く。けれどソウマもわからないようだった。
「うーん……、そういえば今日は朝から見てない気がするけど」
「じゃあ、はっきりわかるのはリラの居場所だけ? ……ならぼくもキリーさんのとこへ行こうっと。キールさんもついてきてね? リラを紹介するから!」
ユウマはキールに向かって笑顔でそう言う。
――――――ずいぶん強引なガキだなー、コイツ。
キールはそう思ったが、口には出さなかった。また、仕方なくユウマについていくことにする。
さっきからキールはユウマに振り回されっぱなしである。彼はどちらかといえば流されやすいタイプなのかもしれない。
だからユウマがまた服の袖をひっぱって「はやくいこう、キールさん!」と急かすのでやっぱりまた誰にもわからないように小さくため息をついただけで、急いで行こうとするユウマについて行った。
そんなキールを見てソウマが、また、すまなそうに言う。
「あぁ、もうごめんなさい。キールさん。ユウマは悪気があるわけじゃないんだよ。気を悪くしないでね」
「気にしなくていーぞ」
キールはもうどうでも良くなったのか適当に返事をする。
そんな気のない返事にソウマは謝るのが少し遅かったのかな、とちょっと勘違いしたが、何も言わなかったので誰もそれには気づかなかった。
「キールさん、はやく〜〜〜!」
ユウマはいつの間にか玄関までいってしまっている。
しかたないのでキールは急いでそっちへと向かった。